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COLUMN

【福井・越前和紙】やなせ和紙 柳瀬晴夫さんインタビュー1

福井県の越前和紙は約1500年の歴史を誇り、最高品質の和紙として名を馳せています。

紙祖 川上御前が和紙の流し漉き技法を伝えたとされる紙の里の人々は、川上御前を祀る岡太神社・大瀧神社に見守られながら、伝統の製紙技法を代々守り継いできました。

さくらびとの「越前和紙と鹿革の福来お札入れ」の越前和紙を手掛けるやなせ和紙は、奉紙、ふすま紙といった伝統和紙から、デザイナーやアニメーションスタジオとのコラボ雑貨まで現代的な技法まで挑戦している工房です。

やなせ和紙社長の柳瀬晴夫さんに、伝統工芸士として越前和紙に携わってきた道のりや創造にかける想いをお伺いしました

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紙とともに育ち、紙に生きることを決めた日

――やなせ和紙さんの主業はふすま紙の製造からスタートしたとか?

この工場を建てて、ふすま紙を漉くようになったのは昭和25年頃と聞いています。その前までは、奉書という小さい紙を漉いていました。

私の父の兄が、戦後の復興需要(住宅が建つから、ふすま紙の需要が増える)を見越して工場を始めました。その後に、兄は機械漉きの工場も作って、そちらを専らにするようになったので、弟である僕の父にこの手漉きの工場を任せて、工場の名前も新たにしました。

そういう意味では僕の父が初代で、僕が二代目ですね。

――子供の頃からこの仕事に携わるのを意識されていましたか?

小さい頃から工場にはよく入っていましたね。夏休みなんかは、どうせ来てるなら、ここを手伝えとか色を流せとか言われて(笑)。
やんちゃして怒られたりね。

小さい頃は、いつか跡を継ぐとかは思ってた記憶はないけど、でもいつかやるんかもしれないなあ、と漠然と思っていたんでしょうね。

――越前和紙の伝統工芸士としてやっていこう、と強く意識したきっかけは?

大学終わって半年ほどしてからこの道に入りましたから、紙漉きの職人としては、42年目ぐらいになりますね。

たまたま私の工場は手で紙漉きをしていたので、その跡を継いで、それなりの年数を重ねてきました。伝統工芸士の資格が得られるというので、試験を受けました。伝統工芸士の肩書きをもらうからには、自分の仕事に責任をもってモノづくりをしていかなあかんというのを、改めて自分に意識させるためでもありました。

時代の変化の中で

――柳瀬さんがお仕事に就かれた時と、今ではどのような変化を感じますか?

昔は本当、祝日も仕事でしたからね。右肩上がりで、とにかく(ふすまの)漉いた紙、漉いた紙、売れていくっていうか。その状態がもうずっと当たり前に続くもんやと思っていましたから。

でもオイルショックを契機にガクンと景気が悪くなって、注文数も減ってきて。どんどん日本の住宅の構造が変わってきましたね。洋風化してきて、だんだん和室が少なくなって、需要が落ち込んできました。だから最近はあんまりいい思いないですね(笑)。

――従来のニーズが変わってきて、紙の作り方にも変化がありましたか?

従来はロット単位が普通で、1回注文を受けると、200枚漉かせてもらう、最低でも100枚ですという形式が、だんだんなくなってきました。それと同時に注文形式も変わってきて、例えば紙漉きは「ため漉き」といって枠の上に流して漉く方法なんですけど、小ロットで5枚ほしいとか、極端な話、1枚だけほしい、しかも寸法も違うんだけど、というパターンです。どちらにも対応できるように徐々に変わってきましたね。

ふすまの場合だと、我々は問屋さんへ納品して、問屋さんからまた二次問屋、最終で表具屋さんというルートがあったんですけど。最近はできるだけ自分のところで最終商品を作って、仲介を少なくして市場へ出すことが多い。せいぜい経由するのはセレクトショップ1カ所くらいで、直にお客様の手元へ行くようになりました。するとお客様の反応も返ってきやすいので、それをヒントにまた次の商品を考えていくというように、だんだん変わってきましたね。

デザイナーやアニメーションスタジオとのコラボへの挑戦

――デザイナーさんとコラボで作った雑貨が好評だそうですね。

「コプル」という石の格好をした和紙の箱は、いろんなところで評価をいただいてるし、外国の方にも結構喜んでいただいているみたいです。一番近い話ですし嬉しいですね。

――通常の和紙ではない、立体物を作る発想には、最初どのような印象を持たれましたか?

紙というとやっぱり平面というイメージがあって、例えば立体にしてもちょっとゴツゴツした感じとか、そういうのは昔からあったんですけど。もっとスマートなきれいな形の立体にしました。

それをまた、僕らの思いつかんようないろんな使い方をしてもらえる、特に今の若い人らはいろんな使い方をしてくれるんで。どんどん提供していく度、またいろんな感想をいただいて、次のヒントにしていける。

そういう積み重ねで、いろんなものを作りたいなあと思ってます。

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――アニメーションスタジオのグッズも手掛けられたとか。

真っ黒クロスケの和紙のシールです。これもふすまの需要なくなって、何か新しいもの作っていきたいなという時に、向こうのガラスのところに貼っている紙のように、昔の人が目隠しに和紙を活用していたんですね。透明ガラスで中を覗かれるのがイヤだから、単純にのりを塗って紙をベタッと貼っていた。それがヒントになりました。

和紙でいろんな模様をつけて、デコレーションができたらいいなと、展示会へ持っていってたら、たまたまジブリの美術館のショップの方がいらっしゃって、「こういうことができるんならクロスケのシールを和紙で作れませんか?」という話になって。半年くらい試行錯誤を繰り返し、試作品をやりとりして、ようやくモノになったんです。今でも販売していただいております。

――キャラクターを再現するグッズならではの難しさはありましたか?

キャラクターは我々にとって新しい道で、それだけに難しかったですね。「ここはどうしてもこういう風にしてほしいんだ、ゆずれん場所なんだ」というのを先方はしっかり持ってらっしゃるので。それに和紙というのは、どっちかいうと「ぼやん」とした感じのものですから。要求する表現をどうすれば実現できるかというのが一番難しかった。

とにかくジブリさんがおっしゃるのは、「目」やってね。目がハッキリしてないといけないと。まわりのふわふわってした部分は、こうぞの紙で十分なんです。それに目をつけて、クロスケ作ってほしいっていうのが取っ掛かりだったんですけど。もうずっと「目」を追究していました。改良の繰り返しでイメージに近づけていきました。

【福井・越前和紙】やなせ和紙 柳瀬晴夫さんインタビュー 2に続く

やなせ和紙 Webサイト   https://washicco.jp/

有限会社やなせ和紙
代表取締役 柳瀬晴夫
福井大学繊維染料科卒。1978年有限会社やなせ和紙に入社。家業であるふすま紙、奉書紙など伝統的な越前和紙の製品から、デザイナーズコラボの立体製品、アニメーションスタジオのオリジナル商品まで幅広く手掛ける。伝統の技法と新たな製法を組み合わせ、越前和紙の可能性に挑戦し続けている。

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